世界でもお洗濯好きな日本人。
そのお洗濯好きはいつからでしょう?
日本のお洗濯の始まりも、世界のお洗濯と同様に、宗教的な背景があったようです。
原始宗教では、病気や災害などは「けがれ」とされ、それから逃れるために水、火、煙、香料、化粧などを用いて「清め」を行っていました。中でも水による清めは多く用いられました。
さらに仏教が伝わり、神仏に祈る神聖な儀式の前には体を清めるようになり、入浴の習慣が出てきます。同時に衣服の清潔も重視されるようになりました。
紀元700年の奈良時代の頃の日本では、サイカチのサヤ、ムクロジの果皮といった植物を使って洗濯をしていたとの記録が残っています。これらの植物にはサポニンとよばれる天然の洗浄成分が含まれており、水をつけて手で揉むとぬめりと泡が出ます。
また当初の洗い方は、川や泉のほとりでの「踏み洗い」が中心だったようです。庶民の衣服は麻素材で、製糸・織布の技術も発達しておらず、とても固かったためです。川の中で踏み洗いをする様子が、平安時代末期の国宝『扇面古写経』の中に描かれています。
同じ頃の韓国では、水質が硬水のため、硬水の金属イオン成分が汚れと結びつき衣服に再付着しやすいことや、成分自体が繊維に残りやすいことなどから、洗濯物を槌(ツチ)で叩いて汚れを落とす「叩き洗い」が主流ですが、日本では次第に繊維に優しい手もみ洗いが中心となります。
叩き洗いも手もみ洗いも、汚れを落とすにはかなりの重労働です。日本昔話の『桃太郎』では、おじいさんは山に芝刈りにおばあさんは川に洗濯にいきます。この話の原型は室町時代には出来上がっていたということですが、この頃には既に「洗濯は女性」という家事分担ができていたのですね。男性の方が、力仕事のお洗濯に向いているように思うのですが。
タライや水桶が発明され庶民の間にも広まり出すと、洗濯の場は徐々に川から家の周りに移っていきます。江戸時代には、長屋の共同井戸の周りに女性が集まり世間話や噂話をしながら洗濯をする光景が見られるようになり、そこから「井戸端会議」という言葉が生まれました。洗濯は家事でもあり、女性同士の社交の場でもありました。
その後、上水道の整備や電気洗濯機の発明と普及により、洗濯は各家庭内で簡単にできる家事となりました。
現在の日本では、お洗濯は毎日する人が多数で、洋服や下着も1度身に着けたら洗う...。当たり前かと思っていましたが、どうやら他の国では事情が異なるようです。例えば、ファッションセンスの高いイタリアでも、お洗濯は週に1回程度、洋服も何度か着て汚れてから洗うのが一般的なようです。これは水が硬水で洗剤が泡立ちにくく使用量が増えたり、熱い湯を用いたりするため、繊維が傷みやすい、洗濯機の仕様で1回の洗濯に時間がかかる、電気代が非常に高いといった理由があるようです。日本人のお洗濯好きは、高機能洗濯機や、水質など恵まれた環境のおかげとも言えそうです。