『五重塔』『運命』を執筆した明治の文豪 幸田露伴(こうだ ろはん)は家事に大変習熟していたそうです。 その姿は露伴の娘で随筆家・小説家の幸田文(こうだ あや)の文章によくあらわれています。 今回は、父 露伴が娘 文へ掃き掃除を伝えたエピソードをご紹介します。
文は「家事一般を父から習った。」といいます。
文は8歳で生母を亡くします。露伴の再婚相手は学問には優れていましたが家事には疎かったため父 露伴が娘 文へ家事を教えることになりました。
露伴は8人兄弟の貧困の中で育ち、朝晩の掃除、米とぎ、洗濯、火焚きなど家事全般をこなしていたので、その指導は実践を伴っていました。
父娘の掃除の稽古が本格的に始まったのは、文が14歳、女学校1年生の夏休みでした。
掃除稽古の1日目、露伴に道具を持ってきなさいと指示された文は、3本ある箒の中から1番いい箒とはたきを持ってきます。
しかし露伴に「これじゃあ掃除できない。ま、しかたが無いから直すことからやれ」と言われ、はたきを改造し、箒の歪みを直して終了します。よい仕事をするためには、より良い道具が大切であるということを教えられます。
2日目は直した箒とはたきを持ち、掃除の順番、道具の使い方、掃除をしているときの所作などを仕込まれます。
障子のはたきがけに取り掛かるも、ばたばた音を立ててはたきをかける文を見て、露伴は厳しい言葉を投げかけます。つい文も反抗的な気持ちになり「意地悪親爺め」と思うのですが、そんな文を見た露伴は、はたきがけの手本を示します。
「房のさきは的確に障子の桟に触れて、軽快なリズミカルな音を立てた。何十年も前にしたであろう習練は、さすがであった。技法と道理の正しさは、まっ直(すぐ)に心に通じる大道であった。かなわなかった。」
『幸田文しつけ帖』のうち「あとみよそわか」より
幸田 文著 青木 玉編 平凡社 2009年 39ページ
まるではたきを自分の体の一部のように使いこなす露伴の様子を目の当たりにし、反発する気持ちはまだあるものの、文は再び障子のはたきがけに挑戦します。
しかしやはりうまくいきません。はたきの先が障子紙に当たり、ぴしりぴしりと音を立てるのを見て、露伴に障子紙が泣いているとからかわれるのです。
はたきがけに続き箒がけが終了する頃には、文も大変な稽古をつけてもらったと素直な気持ちで箒と平行に座り「ありがとうございました」と露伴に礼をするのでした。
礼をして立ち上がり歩きかける文の背に「あとみよそわか」と露伴の声がします。
不思議に思って振り返ると文に、露伴は、掃除の後にもう一度振り返り、やり残しがないかよく確かめるための「あとみよそわか」という呪文を教えるのです。
文の随筆には露伴との家事の稽古を通して父と娘のやりとりがいきいきと描かれています。とくに露伴が家事をする描写は、道具と身体がひとつになった武道の達人を見るようです。きっと洗練された所作で掃除を行うのだろうと想像させられます。
正直、こんな家事の達人に見られていたら緊張して掃除もできないと思ってしまうのですが、「あとみよそわか」の呪文は掃除以外でもいろんな場面で活用できそうですね。